MOJACO&co
MOJACO待望の妊娠。
”MOJACO”とその”co”。 妊娠生活記録。
2015年3月18日水曜日
【番外編】胎内記憶!?
あの壮絶な出産から2年8ヶ月以上が経過しました。
coは元気に心身共にすくすく成長してくれています。
さて。
3月15日。
初めて自分から「お腹の中にいたときのこと」について
話をしてくれたのです!!!
本当かどうかはさておき。
その時のことを一生懸命説明してくれてるときのcoが
なんとも愛おしく、とても幸せな気持ちになりました。
この話は自分の中だけにしまって宝物にしようかとも思ったのですが
せっかく妊娠出産のことを最初から最後まで綴ったブログがあるのだから。
と思い立ち、こちらに綴ることにしました。
「おかあちゃんのお腹にいたときのことなんて、覚えてないよね?」
と問いかけてみたのです、今回は。
というのも。
今まで数回ほど尋ねてみたことがあるのですが
意味がわかってなかったのか覚えてなかったのかはぐらかしたり
言葉がでるようになったのが2歳5ヶ月と遅めだったのもあり
表現が難しかったのか、なかなか「胎内記憶なのかな?」と
思えるお話はしませんでした。
あまりしつこく聞くのもかわいそうだなと思い
これで最後にしよう、そしてあまり期待しないようにしようという思いで尋ねたのです。
すると。
co「覚えている。」
私「本当っ!???おしえてくれるかな?」
co「うん。お花咲いた。」
私「・・・おはな?」
co「・・・チューリップ。」
私「おかあちゃんのお腹にチューリップ咲いていたんだね^^」
co「白いチューリップ。 こーーーやって・・・」
ーここで両手を拳にしてくっつけてジェスチャー。
その拳がゆっくり開いていく様子を何度かやってみせてくれたー
co「お花の中におとうちゃん。」
私「・・・ん?おとうちゃんお花になってたの??」
co「ちがう。⚪︎⚪︎(coの自分の名前)が、よいしょっよいしょっ 、はしご登った。」
私「もしかして、おかあちゃんがら出てくるとき?」
co「んんんんーーー(ぐーっとこらえるジェスチャー)、びゅーん(速い様子のジェスチャー)っばぁーーっ!!!(飛び出すジェスチャー)。 おとうちゃんいた。」
私「そっかぁ(心の中で感涙)。おとうちゃん待ってたんだよ、一緒に。」
ーその後何回かまた手でお花のジェスチャー ー
お風呂から上がってきたお父ちゃんこと旦那さんにも
駆け寄っていって、この話をしていました。
びっくりしましたね。
出産の流れをもう頭で理解していて作った話なのか??!
でも、おとうちゃんが出産で立ち会ったことは特別coに話した記憶はなく・・・
そもそもチューリップという単語はいつのまに覚えたのだろう(笑)
いやあ。
しっかし、信じることにして。
こんなふうに感じてあのとき出てこようとしてたんだなぁ
と思うと、それだけで愛しさがさらに倍増しますし
命の神秘を感じて鳥肌が立ったりもします。
チューリップかぁ、かわいいな。
「お花から出てきてくれたんだね、チューリップ坊や^^」
といって、ぎゅーっとしました。
2012年7月15日日曜日
【最終回】出産 (長編体験記)
2012年7月9日 月曜日 午後2時8分。
41週と2日。
9日遅れとなりましたが。
3624g 50cm
無事元気な男の子を出産することができました。
このブログUPDATEにはその際の体験記を綴ります。
ちなみにこの出産は一部保険適用になりました。
***********
◆7月7日 土曜日
甥っ子の誕生日。
前駆陣痛はあいかわらずあったけど、
不規則だったしがっつり誕生会に出席させてもらう予定でいたのですが。
深夜2時頃痛みで目がさめて以来、痛みがどんどん規則的になり
3時には今までとは違う鮮明な出血が確認されそれが持続。
痛みも今までとは違う痛みでアイタタタと息を吐いてうずくまらないと辛い痛みに。
計測して10分を切る痛みが2時間ほど続いた午前6時前。
病院に電話で確認し、入院支度をし、母親に病院へ連れて行ってもらう。
内診の結果、出血は卵膜がやぶれたもので、陣痛始まりということで入院。
同じタイミングでもうひとり入院してきた方もいたのだけど、
その方はかなりお産の進みが早そうとのことで優先的に陣痛室へ。
まだ1cm程度しか子宮口が開いていない私は入院室へ通されることになった。
モニターをとりながら、ゆっくり強くなっていく痛みをヨガやソフロでやった
吐く呼吸で落ち着いて上手に逃がす。
助産師さんにものがしが上手だとこのときはまだ褒められていたくらいだ。
赤ちゃんにもよく酸素がいっているようだったし。
昼が過ぎ主人が東京から新幹線でかけつけてくれた。
主人がかけつけてくれたときも間欠期にはかなりリラックスできていたため
そこでちょっとイビキかいてうたたねができたり食べれたりしていたので
主人も「余裕そうじゃん」といわれ、私のイビキのでかさを笑ったりしていた。
この後地獄がくるとは思えないような明るい陣痛風景だった。
ところが、しばらくすると陣痛の波がまた15分間隔になってしまったりして
遠のいでいってしまい、仕切りなおしに。
夜にはまた強い痛みになったり間隔も戻ってきたりするのだが、
また遠のいだり、進まなかったりの繰り返しで子宮口も結局2cmくらいまでしか開かずに
時だけが過ぎた。
この痛みならば、ゆっくり呼吸してのがせばひとりでも支障なく乗り切れると判断し
朝からドタバタでお疲れの主人と母親には実家に戻って休んでもらう。
深夜陣痛がかなり本格的になってくる。
4、5分間隔でくるようになり、必死で痛みを逃がす。
でもまだこの時点では、呼吸をしっかりしながら音楽をかけたりアロマかいだり落ち着いていられ
不眠だったが合間に食べれそうなものだけつっついて食べたりしてなんとかスタミナは持続。
朝になり、休養できた様子の母親と主人が到着。
陣痛が結構重くなっている私に手ごたえを感じるふたり。
そしてモニターを取り診察に入るのだが、
モニターをとる前くらいからまた陣痛が少し遠のいでしまい、仕切りなおしに。
子宮口もまだ3、4cmとのことで、丸1日経過したのにこれかぁ、と落胆する私や家族。
仕切りなおしてから、波はさらに頻繁に強くなり
痛みもどんどん下におりてきて腰がくだけて体が壊れるような
さらに経験したことのない恐怖にも似た痛みが数分おきにおしよせるようになる。
そして診察をするがやはり4、5cmしか開かない子宮口。
こんなに頻度高く死ぬような痛みで苦しいのに開かない子宮口に
なんだか絶望のような気持ちを覚え、さらにそれが痛みに拍車をかけると同時に
気力や体力を奪っていった。
そして昼過ぎ。
ついに、痛みと辛さ、先の見えない恐怖に泣き喚く。
どこからでるんだろう?っていうような声で病室からひどい雄たけびを3、4分おきにあげていた。
たまに波が2分くらいでもくる、そして持続が3分くらいするときもあって限界状態。
家族が助産師さんを呼びにいったりしてモニターをつけたり内診するが
いっこうに進んでくれない子宮口。
呼吸が苦しくなるようなパニックはおこしてはいないけれど、
母親、主人のふたりに休む間なく腰をさすってもらったり
テニスボールで刺激してもらったりしながら
ひどくみっともない泣き喚き状態で ついに泣き言をたたく。
「もうお腹切ってー! うまれないよー、こわいよー!!!」
助産師さんに足湯をしたりしたらどうか?と説得してもらったりするが
もう帝王切開してもらって早く出してもらう以外考えられなくなってしまった私の頭。
家族も辛い私を長時間見てるのが切ない状況と
それでも最後までがんばらせてあげたい気持ちと
不休でずっと背中を力強くさすったりしていて体力的にも疲れていたので
どう私を説得させたらよいかわからない状態だったようで。
ついに先生が部屋にやってきた。
水曜の健診でみてくれてた担当のO先生だ。
「切るっても、赤ちゃんはそうしてるあいだもずっと元気で問題ないんだよ。
赤ちゃんはそうやってがんばってるのに、あなたが・・・お母さんが、出産放棄するわけ?」
厳しい言葉をかける先生の前に
四つんばいになって叫びながらも、私はベソをかいて何も言えなかった。
本当にまったくをもってその通りだから。
すごいみっともない光景だったろうと思う。
でもそんな私は、強気に戻ることができず、つぎつぎと先生の前で弱音を吐く。
そして
「いつまで我慢すればお腹切ってくれますか?」
こうたずねた。
ため息をひとつついて先生は
「じゃあね・・・ 明日の朝、 だね。 いいね、それまでは最低でもがんばりなさい。」
朝までってまだまだあるけれど、
それでも先がまったく見えず絶望におちいってる自分に多少なり光は見えた。
朝までがんばれば、なんとか変化が見えるかもしれないと。
このとき。
私の本心は残念ながら
「お腹の子だって必死にがんばってるんだ」って
応援してあげて一緒にがんばらなくちゃという意識ではなく
自分がここから逃れたい一心だった。
そして痛みもさらに激しくなり、
間欠期もさすってもらってないとどうにかなってしまいそうな痛み。
家族がちょっと席をはずしたりするだけで不安も覚えるように。
でもやさしい助産師さんに励ましてもらったりしながらなんとか夜を迎える。
あとはこの夜に心強かった存在、それは姉。
姉が去年の今頃ここで出産してる話を母親が先生にしていたので
「お姉さんは苦労しても下から産んだんでしょう?
ちょっとおねえさんに話でも聞いてもらいに来てもらったら?」
と先生も言っていました。
甥っ子の世話と仕事で大変だろうし、迷惑かけたくなかったんだけど
「そうか」と思い、姉を呼ぶのはさすがに大変だろうと思ったので
去年の今頃の話をあらためて聞くのに電話をしてみました。
姉も子宮口6cmまでが長かったんだとか。
心配して遅い時間に「ちょっといってあげようか?」と。
結婚にしろ新築にしろ出産にしろちょうど1年タイムラグで先に経験している姉。
彼女なりにとても心配してくれてるのがわかり、
思わぬところで心強いアドバイスをもらうことができました。
◆7月9日 月曜日
深夜、金曜の夜から眠れていない(間欠期には限界で勝手に眠っていたかもだが
痛みの度に目がさめ、イライラもマックスになってくる)のもあり、
痛みがひどすぎて吐き気も催し、ウィダーインゼリーをたべるのがやっとの状態だったりで
体力気力ともにあれだけの痛みを耐えるには限界状態に。
母親や主人も寝ずに今日という日に突入したため、間欠期に手をちょっと離した瞬間
コクンと寝オチしてしまったりする状態。
母親にいたっては、日ごろの無理もあってか、咳もひどくなってきた。
私はもう喋るのも辛く、受け答えは首を縦横に振るのがやっと。
そんなとき、なにかがプツンと切れたのを感じた。
あまり記憶がないのだが、「おかしく」なったんだと思う。
身の置きどころのない体と心に動転してしまい、過呼吸状態になったかと思ったら
今度はキョロキョロキョロキョロ挙動が落ち着きがなくなってしまい
あきらかにおかしい状態になってしまったため、何度もホッペタをたたかれて我に返る。
そしてまた助産師さんに我に返ったりしてるときに励ましてもらったりし
少しでも家族とかと楽しいと思えるような会話をしたりしながら
気を紛らわすように努めた時間もたしかにそこにはあったりした。
ここまで気落ちしてるときの、こういう会話の効果はすごい。
痛みも少し和らぐような気がした。
というか逆に絶望を感じてるときは必然的に心理的効果で痛みが増すんだとあらためて実感。
母親がもう肉体的に限界だと訴えたので、一旦実家に帰ってもらう。
主人は眠気を押し殺しながら、ひとりで必死になぐさめて腰をさすってくれた。
そうこうしてるうちに私にも「がんばろう」っていう気持ちがまた戻ってきた。
そしてこのお腹。この生きた大きなお腹はどんなに絶望的であろうと
もうすぐ小さくなってしまうんだってことに「はっ」と気がつく。
と同時に今お腹で小さな命も必死だということを・・・思い出し我に返った。
この苦しんでる自分を記録してほしいと
主人に写真や動画をとってもらう。
そしてふたりで手をつないだり、大きなお腹を撫であったりしてると
あれだけ長く遠いと思っていた朝がすごいスピードでやってきた。
| 陣痛乗り越え中。 左:主人の手 右私の手 この2つの手の下が最後の大きなお腹 |
そして朝のモニター経過観察と内診の時間。
モニターはつける位置が変だったせいか陣痛が思ってるように表示されず。
そして内診でもまだ子宮口が6cm。
やっぱり、先が見えない不安で、再び弱気になったりし、
自然分娩がんばろうって思えてたのがまた嘘のように帝王切開して
何とか少しでも早く産んでしまいたいという願望と闘うように。
でも、先までの主人との時間を思い出したりしながら
「もうちょっとがんばれ、もうちょっとがんばれ」と自分を励まし
天使VS悪魔が丁度5:5のとき。
この日の担当医の診察があった。
一度安定期前に診察してもらったことのある先生で、
昨年の7月7日に 姉の子(甥っ子)を取り上げてくれたA先生・・・
この先生が内診をし、こう言った
「6cmだけど、近いね!かなりおりてきてる、もうすぐ開くと思うよ。
今日中、いや、明るいうちだね、大丈夫」と。
一気に視界が広がった。
痛みが急に軽くなった(笑)
そして、その先生は体力の消耗の様子から陣痛促進剤を使うことを決めた。
陣痛がかなりいい波できてるので、促進剤をつかえば早くて昼すぎには
うまれるかもしれないということで、分娩室にて促進剤を投与することに。
うれしい反面、促進剤を使うと自分のペースでなくどんどこどんどこ
波のように痛みが押し寄せるときいていたので少し怖くもあった。
促進剤投与によるリスクも考えられるので
途中で帝王切開に以降することも了承くださいとの旨かかれた用紙にサインをし
病室で準備を整えいよいよ点滴開始(このときはブドウ糖のみ)。
そして、陣痛室に一度も入ることなく分娩室へ移動。
投与開始。
本当に数分で波が強くなり、子宮口もすぐに7cm、8cmと広がり始める。
しかし、やはり言われていたとおり、痛みの波が激しい。
助産師さんの誘導も受けながら、必死に吐く呼吸で痛みを逃がす。
もはや私には恐怖心はなかった。
呼吸はかなり上手にできて、先生やスタッフの方々に褒められた。
痛みがどんなに強くなってもここまで呼吸でがんばってきたおかげで
赤ちゃんの心拍は全くおとろえることがなく。
というか赤ちゃんががんばってくれたから私の呼吸が乱れなかったんだと今は思う。
なんとか分娩室で必死に痛み逃がしをしていると
昨日、叱咤激励してくれたO先生が処置衣姿で私のところへ。
「あなた、よくここまでがんばったじゃん、もう少しだからね」と。
もう総合病院なんてこんなもんだーとやさぐれていた私だが、
感激して涙がでそうになってしまった。
やっぱり医者も人間だ!と。
そしてあれよあれよとお昼には子宮口が9.5cm。
分娩の用意もできて、先生もスタンバイ。
10cmになったところで、いきみたくて仕方なくなってくる。
幅の広い足スタンドに足かける必要ないのに自ら大また広げて足をかまえ踏ん張るように。
破水はいつしたかよく覚えていないが、かなり後のほうぎりぎりで人工的に破水「させた」ようだ。
今までは横向きで逃がしてきた痛みも正面でバーを両手で握って逃がすように。
ところが。
ここから・・・いきみからが長かった。
というのも一番狭いところに、赤ちゃんの”サイズオーバー”の大きな頭がつかえて
なかなか出せない。
いきんでもいきんでもなかなか出てこない。
大柄の助産師さんが踏み台にのぼり、
私のお腹をおしながらの補助いきみも行ったがだめだった。
何度いきんだろうか・・・
覚えていないが、とりあえず意識が何度が遠くなりそうになっていた。
すると突然、「ピピピピ」とドラマの緊迫した手術場面で流れてくるような音が。
赤ちゃんの心拍がシビアに落ちたらしく
まわりがガヤガヤ騒々しくなり専門用語とかが飛び交う。
そして私に酸素マスクが装着され、先生が口を開く。
「このままの状態でいきみを続けると赤ちゃんもお母さんも危険なので
鉗子による分娩補助を行います」
酸素マスクをつけてほんのすぐ。
赤ちゃんの心拍は回復し、私もまた意識が確かになってきたので
鉗子をかまえた状態でいきみ再開。
こんな冷静な自分は今までみたことないというくらい冷静だった。
とにかく、いきんだ。
いきめるだけいきんで、もう死んでもいいと覚悟し
止めれるだけ息をとめて踏ん張った。
何度踏ん張ったかは覚えていないが、
医者2人、助産師3人(もっといたかも)、
そして母親が私の左・主人が私の右、
皆が力強く「がんばれ」って大きな声をかけてくれて
その声を合図に私は脳みその中でもう決まってるわが子の名前を叫んで息を止め
肛門の方に意識集中させて、多分笑顔にも似たすさまじい表情をつくっていきんだ。
A先生の「よし、いいぞ」という掛け声から数秒。
デュルン。
「出た」
そしていきみの姿勢の視野にうつる
袋にはいった物体。
この光景でなんだか時が止まったようだった。
大声が飛び交い、赤ちゃんの状態の確認や時刻報告が行われていた。
そして想像より遅いタイミングで
「ふぎゃあ ふぎゃあ」
と赤ちゃんが産声を上げた。
思ったりよりも穏やかなその声。
そして「まずおかあさんに」と袋からでてきてすぐ私の顔のところに来た
これまた想像よりもきれいな肌色というかピンク色のきれいな赤ちゃんに
一気に緊張の糸が切れ、みっともないくらい泣いてしまいました。
そのまま胎盤の娩出をしたりしたけど、もう痛みとかそういう領域ではなく。
鉗子分娩のため、傷がひどく、縫うのは痛かったし、後陣痛もあったけど、そのときでさえ
同じような気持ちで・・・涙がとまらず。
主人に「まだ痛い?」って切なそうに聞かれて
「うれしくて」って答えたっきりそこから4時間程、言葉がでなくなってしまいました。
傷はA先生とO先生、ふたりがかりで縫ってくださいました(抜糸不要)。
鉗子に加え、筋腫のせいもあり出血がかなりだったようで
そこから世界がぐるぐるしてしまい
しばらく点滴をすることに。
意識はあったのだが、まったくをもって身動きとれず。
といっても2時間は経過見時間のため動いてはむしろいけないので。
その間、主人がスポーツ飲料やアイスなどをかってきてくれて
分娩室でプチ晩餐(笑)
このとき食べたCOOLISH(ちゅーちゅーするバニラアイス)
がうまいことうまいこと、一生忘れない(笑)
経過観察後は点滴しながら病室に運ばれました。
2人部屋を1人で再び占有させてもらうことに。。
でもここでゆっくり、バースプランでお願いしていた
胎盤を見たりさわったりを含めゆったりした安堵の時間を過ごすことが出来てよかった。
胎盤は580gあり、健康状態は良好とのことでした。
思ったよりグロくなく、さわり心地もふわふわしてましたよ。
これが、この命を今まで育んでくれていたのかぁ、と思うと
友人が言ってくれたように「愛しい」くらいに感じました。
そして「おつかれさま」と声をかけてあげたくなりました。
当初、胎盤見ることはそんなに乗り気でなかった主人の興奮ぶりも意外だった。
クッタクタの母と主人が帰宅し、ひとり広い部屋のベッドで
もぬけの殻のような体を横たえてる間。
ずぅっとずっと 頭の中に 「ポックリポックリポックリポックリ」と
モニターから流れる馬のギャロップにも似た軽快な私の赤ちゃんの心音がいました。
3日間いつ測定しても変わらず聞こえたこのギャロップのような音は
もうお腹からは感じることができなくなってしまったけど
ひとつの個として、確かに、ここに。
あたらしい人生をスタートさせた。
***********
さて。
この3日間の入院に及ぶ出産を経て。
なんていったらいいんでしょう。
とにかくそのときあった状況や心境をつらつら書くことはできても
なんかうまいこと、表現できる言葉や文章も見つかりません。
人生で「いちばん」の出来事だった
としか今は言うことができません。
産後もいろいろ肉体的にも辛かったりあるけれど、
無事退院して落ち着いてみて
とにかく、この経験ができたことを心から感謝したいと思います。
この経験をもたらしてくれたこの小さなあなたには
与えて与えて与えて与えきらないときっと恩返しできないのかな。
You Must Be an Angel.
あなたのその小さな体に宿る大きな命にふれるたび、涙が止まりません。
そして、共にこの小さなあなたの親になる主人。
この経験を経てまたあなたを見る目線が変わりました。
というか目線が「加わりました」。
この人との子供をこうして出産することができたこと・・・宝物です。
あとは、懸命に協力し支えてくれた家族。
心を寄せ、励まし応援してくれた友達。
私のバースプランを基に親身になってくれたり的確な処置をしてくれた病院スタッフの方々。
感謝感謝いっていたら、「感謝」という言葉が安っぽくなってしまいそうだけれど
表現力乏しい私には、本当にこの「感謝 」の気持ちでいっぱいです。
かけがえのない、すばらしい妊娠生活をありがとう。
妊娠生活日記はこれにて終了します。
本番はこれから。
2012年7月5日木曜日
不安と安堵の1日
40週と5日。
昨日は健診&満月でしたが、今日も何も変化ないな~と思っていた矢先。
家事して疲れて休憩していたら、赤ちゃんが朝から動いていないことに気付く。
様子見でもうちょっと休んでみたけど、やはり動かない。
ゆすったり叩いたり話かけまくったりしても全く反応がない。
どうしたものか?
と急に不安に駆られ、お腹に向けて何度も胎児ネームを呼ぶ声がどんどん震え出す。
同時に自分のお腹がグーーと押され息が苦しいくらいの張りや眩暈があることにも気付く。
とりあえず、病院に電話して現状を話すと
「診察してみますので一応入院の準備をしてきてください」と。
すぐにその旨旦那さんに連絡。
旦那さんにメールをして返事がきたので、思わず電話をかけてしまい
電話で不安が爆発してベソをかいてしまい、現状説明がやっとだった。ごめんなさい。
そして母親にも連絡。
すると母親は仕事途中で抜けてきてくれ、荷物をもって付き添ってくれた。
とにかく入院になるかどうかはさておき、赤ちゃんが生きていてさえくれればそれでいい。
願うような気持ちで病院へ向かいました。
ちょうど、外来の診察が終わっていた時間帯で
助産師さんが待ってくれていたため、すぐに診てもらうことができました。
はじめてNST(Non Stress Test)をしました。
装置をつけると、すぐに赤ちゃんの心音が確認され、
安堵で仰向けで寝るのは腰や背中が痛く辛いはずなのに
全身の力がすーっと抜けて息が楽になるのを感じました。
結果、やはり張りは来てるようだけど、陣痛のような痛みはまだ来ていない。
動いていないのは、赤ちゃんが骨盤の方におりてきてるからかもね、とのこと。
内診をしてみて子宮口がひらいてきてれば、今日か明日かな?ということで
内診もしてもらいました。
しかし、内診ではやっぱり子宮口はまだまだ硬く開いていないようで
「まだだめだねー」と。
それ以前に、私のむくみがこの1日で急にひどくなってしまい、
血圧を測ると今日は上がってしまっていました。
目もチカチカして星が飛んでることが増えている旨助産師さんに話すと
それはよろしくないとのこと。
今まで結構沢山動くようにしていたけど、かえって体が休養を求めているらしく
今はどうやらついに体が悲鳴をあげてきてしまっているようで
(助産師さん的には本当に今日にでも産ませてあげたいくらいだとか。。)
ここからはしばらく安静にしているようにと言われました。
今まで健康だったため、あまり現状や今後のことや方針について
詳しい説明がなくヤキモキする部分もあったのだけれど、
そういったことも今日はいろいろ相談にのってもらえて、
体調はこんなですがすごく気持ちが楽になりました。
「今はおちついてリラックス」「待つのみ」って皆に沢山いってたくさん励ましてもらえた反面、
やっぱり健康でもなかなか見えない現状に不安は募るもので
それを押さえ込むようにいろいろ試みたりしながら平常心を保っていた自分にも気がつきました。
分娩に対する具体的な恐怖はないにしろ、
見えない不安やプレッシャー;
あちこちからの「まだ?」「産まれた?」とか「出産遅れてない?」
といった言葉が心配してくれてるのはわかってもやはり傷つくこと、
旦那さんや家族の予定をもろもろ曖昧にさせつづけていることや
お腹が大きいのもあり、9ヶ月くらいから今か今かと待っていてくれる人が沢山いること
(待たせすぎてごめんなさい的)、
そして安産のために出来ることはいろいろやってきたし
旦那さんにもお願いして来てもらったりしたにもかかわらず
効果(出産の兆し)がいっこうに見えない現状etc.
もう無理してそれをかきけさなくたっていいんだよ。
無理だと思えば拒否するなりかわしてしまえばいい。
あとでありがたいことだと思えば、またそう思いなおして反省すればいい。
今はとにかく現状を知り、自分を、赤ちゃんを受け入れてあげなくちゃ。
このお腹にいる赤ちゃんのたったひとつの頼みは、この私。
少なくとも来週の健診、11日の後には入院になり
誘発剤をやってみたりして赤ちゃんの様子をみて
だめそうならば帝王切開の可能性もあるとのこと。
自然分娩がもちろん希望ではあるけれど、元気に生まれてくれるのであれば
もう最終的には手段はどうでもいいです。
ちゃんとハッキリ先も見えたし、
今日はトンボ帰りなってしまって母親も昼休みタイミングとはいえ
大事な会議前に振り回してしまったけれど(ごめんなさい)、11日までの1週間。
なんだかようやく心の底から「ほっ」として赤ちゃんを待てる心境になった気がします。
忙しい実家。本当なら陣痛くるぎりぎりまで家事してたりとかして、
役にたってられればよかったんだけど・・・
でも家族の皆が「本当はこの人お手伝いさんじゃないんだから(笑)」
「よくやってもらって助かった」「安静にしてとにかく備えて」とか気遣いの言葉をかけてもらったり
早速率先していろいろ家事やってもらったりして感謝です。
困ったときの家族です、本当に。
**********************
ところで。
”出産前に状況をきくために妊婦に直接連絡するのって普通なのかな?”
私はこれだけは気遣ってしないようにしていました。
もちろん、肉親・・・姉の場合は、手伝いにいく約束をしていたので
ちょこちょこ状況を伺ってはいましたが、本人ではなく母親に。
そして、近年は大事な友人なんかもブログとかSNSがあればそこから知ることもできるので
あえて聞かなくても安心できたり。
またブログやSNSは発信する側からしても、
聞かれる前に一斉に統一された情報として報告することで
自ら防衛線を張りストレスを軽減する役割もあるのでは?という点で合理的かと。
もちろん公開したからにはリアクションを受ける義務もあると思いますが。
今回出産に際して。
自分もSNSやブログを利用して(このブログはおおよそ自分の記録用であまり人に教えていないが)
情報を発信しています。
おかげで、そのときの状況に添った経験者のアドバイスや温かい応援・激励の言葉をもらえたり
支えてもらうことや気がつかせてもらうことが沢山あり感謝しています。
しかし。
発信していることを知らない人からの「まだ?まだ?」コール・メール、
ついでに「まだ」っていったときの知りもしないでくれる「ちゃんと歩いてるの?」とかのアドバイス・・・
発信していることを知ってる人の間でも
噂の種ではないけど興味本位な感じに捉えられる質問、
親切心なのはわかるけれど、 必要以上の叱咤激励や分析・・・
「あなたはこうだから遅れてるんじゃない?」とか
最終的に私のパーソナリティの断定?につながるような指摘をお願いしてもないのにされることetc...
・・・今の私にとっては受け入れがたいことです。
というかそもそも、何故私は予定日近くなると相手から出産報告があるまで連絡というか
状況を尋ねるのを避けるかというと、
出産は安全になったといえどやはり命かげのことだと思うからです。
どんなスタイルであれ、それぞれ十人十色。いろんな思いをして命をかけているんだと思います。
それぞれがんばってる。 これ以上何を聞くこと、言うことがあるか?と。
アドバイスをお願いされればまた話は別ですが。
そして。もしものことなんてあってほしくないけど、あった場合。
状況を尋ねることで癒えない傷に塩を塗るか、出産経験がない自分にも安易に想像がついたからです。
大事な人ならば信じて待ってればいいじゃない。
もしものことがあったとしても、いつか時間がそれを少しでも癒し前向きにしてくれたときに連絡をくれるかもしれない。
お祝い?相手が連絡くれてからでいいじゃない。
そもそもお祝いってめでたいからするもので。
相手がめでたいって思えたときにするからいいんじゃないかな?
それを連絡をマタニティブルーだったり、なにかあってしまったり、バタバタしてて連絡ないときに
無理にきいて一方的にこちらから祝福するのって、たしかに祝いたい気持ちはわかるけど、
自己満足だったりもするのかな?って。
なにより、相手からしてくれるウレシイ報告にまさるものはない!と私は感じています。
今回妊娠し、出産を控えてみて。
待たせてしまって申し訳ないという気持ちがこんなに重いこと
でもこればかりはいくらがんばったとしても自分の力ではどうしようもならないこと
まだなのか?一番知りたくて一番待っているのは本人だということ。
これらを痛感し、やっぱり産前産後は報告があるまで
そういった内容の連絡は差し控えるべきではないかと自分は心底感じました。
まあでもきっとこれも人によって感じ方が違うので、全く気にならない人もいるはず。
むしろ気にしてほしい人だっているかもしれません。
なのであくまで、私の産前に実際に感じた一意見にとどめておくことにします。
2012年7月4日水曜日
妊娠健康検査15回
40週と4日。
予定日は過ぎましたが、健診は週1ペースで引き続きあります。
しかーし。
東京都のチケットは14回分しかないので
ここからは本気で実費になるんだと思われます。
仕事をしている場合は産休育休の兼ね合い上、予定日超過のほうが得かもですが
健診だけでみると遅れると損のようです。
とまあ、こんな損得どうでもよいのです。
今日も前回と同じ健診内容。
母子ともに元気でした^^
赤ちゃんは何故だか今日の記録だと3300g台に戻ってました。
「ダイエットしたんですかね?」って聞くと
この数字はあくまで目安で
計ったサイズについてはもうオーバーしてるし、小さくなってるってことはないよ、と。
うーん、まったくをもって実際の重量が謎めいてきました(笑) 産んでみるのみ!
内診は今日は前回より更に激しくなりました(笑)
今日のはさすがに痛かった!
「う”う”う”っ、 せまいっっっ、 よいしょーーーーっっっ!!!」
とぐいぐいグリグリやられましたとさ。
出産の痛みくらべればきっと取るに足らないもんだろうなーって思うけど、
でも痛いときに息を吐く癖がしっかりとついたおかげで
苦手な内診も、一昔前では信じられないくらい普通に乗り切れるようになりよかった^^
内診してみて、先生としては「近からず」とのこと。。
つまり、まだってことでしょうね。。。
内診の刺激で水、木、金と出血や下腹の痛みがでたりするようになったんだけど、
でも土日で収まっちゃうんですよね。
だし、今回も痛くなるかもだけど、また収まるような気もしています。
次回は11日。
そのときに、どうするか方針考えましょうとのこと。
私のちょうど前に診てもらっていた方も私と同じ予定日で遅れ度合いも一緒。
でもその方は「42週になっちゃうので13日までには入院」って言われていたけれど
私は「そのときに考えましょう」的な。。。ま、いいか。
きっと私の体や赤ちゃんの様子はそんだけ健康で
そんだけ呑気にやってても大丈夫ってことで解釈しときやすー。
さあ、いよいよカエサルの誕生日が近づいてきましたよ。
カエサルの誕生日にまさに「帝王」切開("Caesarean" section)
になったりする可能性もあるかもですよね(自然分娩がうまくいかず)!??
こここ、皇帝の誕生だー!!!
なーんて、そんなことになったら大変だろうに、呑気な妄想をしたりしつつ。
診察待ち時間、今日は最短でした。
会計まで含め30分くらいで終了!はや!!
帰りはたまたま休みが重なった両親が迎えにきてくれて、ちょっとおでかけ。
一緒にお気に入りのラーメン屋でラーメンをたべて、またしても「食べ納め」(笑)
親にもいい加減「どんだけ食べ納めてるのか」と笑われます。
そんでもって、張りがくるように、しばらく母の買い物に付き添って
歩き回ったり(手ごたえなしですがw)。
こないだ心配だからもう買い物とか出かけるのやめてね
と親に言われたけど、さすがに親ももうこのシブトさ加減に天晴れなのか
その宣言を無言のうちに撤回モードの様子(笑)
そうそう、お腹の赤ちゃん。
まだ腹を引き伸ばすようによーく動いてくれてますが^^
出産前っておとなしくなると聞いたけど
結構ずっと動いてたりするようですね。
安心しました。
2012年7月1日日曜日
8年目の結婚記念日
40週と1日。
今日は私たちの8年目の結婚記念日。
結婚して丸7年が経過したということになります。
時が経つのは早いです。
この8年目・・・
家族がついに増えようとしています。
早く赤ちゃんに会いたい気持ちでいっぱいの私たち夫婦ですが、
それでも最後にこんなふうに大きなおなかの私と旦那さん、
一緒に記念日を過ごすことができたのはまたうれしいですね^^
昨夜充実のお出かけが出来たし
外は昨日とうってかわって雨で湿度もじめじめ。
更に今日からは私は外出はだめと言われてるから
特になにするっていうこともなく家でのんびりだったのだけど、
ごろごろ寝たり起きたり(笑)
お腹に沢山話しかけたりしながら
のんびーり「2人+1人」の水入らずな時間を過ごさせてもらうことができました。
旦那さんはお腹の下のほう・・・赤ちゃんの胸のあるほうに耳を当てていたのですが
早い鼓動がよく聞こえたと感激してました。
私は自分でお腹に耳あてることできないから、聴診器でもない限り
お腹の音を自分で聞くことができないんです。
だからちょっとうらやましー!!!
何するってわけでもない、こんな時間がこれほど貴重に愛しく思える
結婚8年目の記念日。
心の底から幸せだなと感じました。
予定日過ぎてはいるけれど、こんなふうに元気で過ごせるのんびりすばらしい時間をくれたり
かつてない幸福感でいっぱいにしてくれて。
きっと、お腹の赤ちゃんからのプレゼントでしょうね。
私たちのところに来てくれて、育ってくれて、本当にありがとう。
帰りは新幹線で帰った旦那さん。
実は何気にひとりで新幹線乗るの初めてらしく、そのへんも観光の一環として
わくわくしていたようでよかったです^^
予定日・記念日、このスペシャルな週末。
遠方まで来てくれてありがとう。
産後は余裕なくいっぱいいっぱいになるのは当然の運びと思うし
実家から自宅にもどったらまた格闘しながら手探りの日々も始まるのだと思うけど、
それでもやっぱり早く旦那さんとまた一緒に新しい人生のアドベンチャーをしていきたいです。
交際約2年、そして結婚生活丸7年、本当にありがとう。
そしてこれからもよろしくね。
2012年6月30日土曜日
予定日
40週と0日。
本日は6月30日、妊娠カレンダー上では出産予定日であります。
そんな今日は約束通り、旦那さんが実家に遊びにきてくれました。
往路は鈍行で乗り継いで(笑)
丁度お昼に到着した旦那さんを、
仕事の昼休憩の母が迎えにいってくれて家で3人で昼食をとりました。
本日は郷土料理でもあるタケノコ汁をこしらえて待っていました。
その後は母は再び仕事へ。
私たちは家でのんびりしました。
晴れて湿度も50%を切る爽やかな陽気。
やっぱり旦那さんはかなりの晴れ男。
気持よい風の中、おうちでお茶したりグデグデしたり転寝したり・・・至福の時間でした。
私のお腹を見るのは約2ヶ月ぶりの旦那さん。
9ヶ月入ったばかりのときも大きかったけど、
おへそが☆になってしまったばかでかいぽんぽんに圧巻してる模様(笑)
記念に9ヶ月のときと同じアングルで写真をとって大きさ比較とかもしていました^^
夜は。
仕事を少し早めに切り上げてきてくれた母と姉家族と一緒に
祖父母宅の近所のほうへ、蛍を見にいってきました。
メインイベントであります。
というのも、旦那さんはまだ生涯一度も蛍を見たことがないそうなんです。
この時期は丁度夏休みシーズン前でもあり来ることがなかったのですが
今回丁度蛍シーズンと出産時期が重なったので蛍を見せることができたなぁと思っていました。
親戚から情報をもらい、
人けの全くない田んぼにかこまれた静かな場所へ行き、車を止めてハザードを出す。
するとフワリフワリ、1匹2匹と蛍が寄ってきて
少しの間にそれが10匹20匹と増えていき
最終的には50匹はいるのではないかという沢山の蛍たちに囲まれて。
車はもちろん、私たちの体にも蛍が次々ととまって。
私の大きなお腹にも1匹蛍がとまり、光をともしてくれて、なんだか心温まる光景でした。
蛍さんも「こっちだよ」と灯りをともして導いてくれたようです^^
| 誰かの服についていたようで、蛍を持ち帰ってしまったらしい!姉家族が明日にでもきれいなところへ逃がしてくれるようです。 |
いやぁ。すばらしい蛍見になりました。
本当に穴場中の穴場。
親戚のおじさん、いい情報ありがとうございます。
ハザードランプをつけると蛍が寄ってくるというのも、
蛍を身近に見ながら育った自分も知りませんでした。
あと20時から21時が蛍の波でこの時間帯に沢山でるっていうことも知りました。
その波を逃がすと蛍は休憩に入ってしまうのか、見れる数が減るようなんです。
その後は同じ地区でやっている蛍祭りにもふらり立ち寄り。
ここも蛍の名所で有名。
でもホタル祭りが先週から開催されているので、かなり人がいて混んでいました。
そして時間的もある程度波が過ぎてしまったのか沢山の蛍は見れず。
けれど、先に見た蛍よりも大きいホタルを3、4匹みることができ、これもまたいとをかしでした。
こちらで見たのは源氏蛍でしょうかね!?
| お祭り会場にあった巨大蛍人形!?? |
寒いくらいの夜風を感じながら帰路につきました。
道中、最近私が行く率の増えたお気に入りの居酒屋で夕食を食べて。
ここ、旦那さんも一度つれていきたくて以前一緒にいってみたら定休日とかで行けなくて。
そして母親の還暦祝いを5月のGWにここでやる予定だったのですが、
その際は家族皆体調不良で中止になってしまったし。
突然思いつきだったけどようやく念願叶い旦那さんも母親も一緒にいくことができました。
父親も今度は連れて行きたいですね。
| しゃれたお刺身。野菜にしろ肉、魚にしろ、ここは結構いいものつかってるなぁと思います。地物も楽しめたり。 |
| お気に入りは季節野菜のバーニャカウダ。この地方らしく根曲がり竹ものっていました。ブリカマもたっぷり食べるところあっておいしいですよ。 |
こんなお腹の大きな妊婦さんが居酒屋で不良してていいのかという光景ですが(笑)
アルコールは抜きだけど、おしいものを食べて大満足でありました。
旦那さんにはせっかくだから日本酒を飲んでもらい。
そして母にはやっと還暦祝いとして駆け込みですがご飯をご馳走することができました。
23時に帰宅。
予定日に でーっかいお腹で蛍みにいくは、夜道歩くは、酒飲まないにしろ居酒屋いくは。。
不良妊婦ですいませんって感じですが
こんなにすばらしい時間を過ごすことができて感激です。
妊婦生活の本当に思い出に残る締めくくりになりました。
もう買い物を含め心配だから外出歩くなと家族からストップも出たわけですし。
仕事で疲れてる中、付き合ってくれた母親には感謝です。
旦那さんも久々に出かけたりおいしいものを食べたり自然を楽しんだりして
満足してくれたようでうれしいです。
2012年6月29日金曜日
おとうちゃんに会いたい!?♪
39週と6日。
いーよいよ明日で予定日になります。
そんな今日は腹痛で夜中に目が覚めました。
っていうか、今日にはじまったことでなく
実は健診の日の深夜くらいからズーンと生理痛のような痛みが
続いたりとまったりしたりはしてました。
でもまとめて眠れるし、家事や作業も全然できるし、
昨日は2時間ほど腹痛続いたあと落ち着いたので
食材の買い物で重たいものもったけど平気だったし、特に気にしてませんでした。
ところが、今日の夜中2時半くらいに痛みで目がさめてから
いたかったり痛くなかったりの波が不規則におとずれたり
痛いの続いたりとちょっと様子が一昨日や昨日と変わってきました。
お腹もなんだか下がって硬く張ってる様子でもあります。
ただ、赤ちゃんはまだたまにお腹上部のほうでも動いてるの確認できるし、おしるしもない。
前駆陣痛か、陣痛だとしても微弱なのか。
よくわかんないけど、とりあえずまだもうちょっと様子見ようかなと思っています。
でも痛みの波を逃がさぬよう、自然にリズミカルな本陣痛がきてくれるよう
ツボ押ししたり、動いたり、まあ最終的な身辺整理(笑)でもしたりして過ごしてようと思います。
「まだまだ気配なし」って言われた水曜の健診の夜に
実は旦那さんにこっちに週末遊びにこないか聞いてみたんです。
お父さんがいると産気づきやすいとか友達から結構アドバイスもらったのもあり。
ちょうど、今週末の日曜・・・7月1日は私たちの結婚記念日!
結婚8年目に突入する日であります!!!
なので、旦那さんも来てくれるといってくれました。
蛍の季節でもあるので、まだ生涯一度も蛍を見たことないという旦那さんに
蛍をみせてあげたいな~ って思って^^
夏はよくこっちきてたけど、この丁度蛍がビンゴな時期ってなかなか来る機会なかったので。
あと一緒に前おいしいと思ったラーメン屋もいったりしたいなって思ってたし
旦那さん用につくった生姜シロップも渡したかったし、
今、ひとりで料理奮闘してて疲れてるであろう旦那さんに
郷土料理でも作ってもてなしてあげたいなーと思ったりしてました。
とにかくいろいろ頭の中で記念日企画を練っていたのですよ。
私としても、約2ヶ月ぶりだから、さらに大きくなったお腹みせられて
記念日に一緒にこのぽんぽこお腹で過ごせるなんて感激ーと思っていました。
お腹のぽんぽこちゃんは、しかし。
お父ちゃんが来てくれるってわかってからビョコビョコというか
今までと違う動きをはじめたように感じ。
それからなんかお腹が痛くなってきたんです。
今まで足の部分(胃のあたり)をびよーんとうごかしてたのが
なんだか下のほう(頭のあたり)をぐりぐりと動くような動きが増えてきました。
道をさぐってるのかな?!(笑)
きっとおとうちゃんに会えるのが楽しみで仕方ないんだろうなあ^^
いずれにせよ週末は旦那さんきてくれることになってるので
痛みがこのままフェードアウトしてしまったとしたら、それはそれで
出来る範囲で記念日を楽しみたいです♪
そして、このまま陣痛に繋がってくれたらば、それはそれで信じられないくらい
パーフェクトなタイミングだし、
いずれにせよ、HAPPYで記念に残りそうな結婚8年目の記念日がやってきそうです^^
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